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妄想 2015/05/10
こんがらがる。

このところ、『くろの』の最終巻をぽちぽち書きつつ、そのあとにやりたい新作の設定などもまとめ、それとは別に某社で出す原稿を手直しし、また別のところ用のプロットも考え――なんてことをやっていると、どこに何を出すのか混乱してとんでもないことをやらかしそうになって、自分でも本気で怖くなることがある。
実際、ぼくはもう20年近くも前に、当時スニーカーで『チキチキ』を担当してくれていた編集さんに、間違って『ホルス』のプロットを送ってしまったことがある。あの時は笑い話ですんだが、ぶっちゃけ、スケジュールがバッティングしそうな時にそんなことをやらかしたら、担当編集としては腹が立って仕方がないだろうなあ……とぼんやり想像もできるので、なるべく落ち着いてメールしようと心がけている。

まあ、あの当時はFAXだったけどな!

妄想 2014/07/27
黒歴史:二次創作

某『MI』の二次創作終了。
本職のほうがあるのですぐにまた、というわけにはいかないのだが、次は『サムスピ』か、はたまたもう一度アルソワでいくか。ネタはいろいろあるので何をいつ書くか、という話でしかないのだが、いずれまたやりたいとは思っている。
まあ、こういうことができるのは、あくまでこれがぼくのオリジナル作品ではなく二次創作だからというのはある。
ネタのあるなしでいえば、それこそ続きが書ける自分のオリジナルはいくらでもある。さすがに150冊とか書いてくると、中にはきちんと完結してないシリーズもあるわけで、ただそれはネタが出なくて完結しなかったのではなく、「商業ベースで続きを出すのは無理」という大人の判断で完結させられなかっただけでしかない。要するに、赤字覚悟で出していいよという編集部であれば、きちんと最後まで出せていたはずのものである。
であるからして、たとえば「よし、『プライマルストライカー』の3巻を書こう!」と決心すれば、ぼくはすぐにでも書けるのである。どの作品も、1巻を書き終えた時点で全体のラストまでのお話はほぼほぼ考えてあるし。

しかしそういうものは、このようなブログでちょろちょろやるようなものでもないな、とも思っている。あくまでこれは仕事の延長戦みたいなものだし、ならばそれなりの責任感を持って執筆し、世に送り出すべきものだろう(別にゲームの二次創作だから手を抜いてる、とかいうことは決してないけど)。
なので、ぼくのオリジナルの小説の続編とかは、ネタはたくさんあるが、今はじんわりあっためておいて、いつかもろもろクリアになった時に電子版で出そうかとも考えている。
実は数年前、知人のお誘いで、某ゲームの二次創作で同人誌を作った。完全に趣味で、編集も印刷も販売も在庫管理も知人さん任せ、ぼくは本当に原稿を書くだけ。たぶん文庫で2冊分くらいの分量を書いたと思うが、かなりしっかりした本を数冊作った。
ああいうレベルのものを自分で作れるのなら、自分のオリジナルの作品を同人誌で作るということもありえるが、あいにくとそういう時間と人手もない。そういう意味では電子版のほうがいいだろうなという気はする。昔と違って、今は読み手のほうの敷居も下がっているし。

つまり、「『ハルマゲ』新作短編3本で200円!」とか、「『チキチキ』新作長編300円!」とか、そういうつぶやきに反応してくれる人だけを相手にした商売が、いずれ成り立つといいなと思う20年目のきょうこの頃。

妄想 2014/04/29
黒歴史:いや、別に黒くはない。

ぼくがデビューするより前に、タツノコの『テッカマンブレード』というアニメが放送されていて、それが数年後にLD-BOX化された。DVDとかBDじゃなく、LDのBOXである(そういう時代がありました)。
で、そのBOXに特典映像として数本のショートフィルムが作られたのだが、そのうちの1本、『TWIN BLOOD』という作品の脚本を、ぼくが書いている(脚本協力という形。たぶんスタッフロールでの脚本は、工原しげきさんになっていると思う)。監督のやりたいものをやったという感じの、約10分ほどの短編で、今観ても作画陣、声優陣の仕事が狂気じみてすばらしい仕上がり。
ぼくは絵コンテ+VHSの白箱をもらったので、ビデオデッキのない現在は動画サイトで捜して観るしかないのだが、それでも定期的に観たくなる昔の仕事である。

こういう仕事もしていました、というお話。

妄想 2014/04/22
黒歴史:若いっていいね。

すべてはなかったことになったため、ぼくはもう一度集英社で仕事をすることになった。
このタイミングで担当さんも交替し、心機一転、コバルト文庫で新シリーズをスタートさせた。これが『妖精の騎士』シリーズで、あからさまに少女向けを意識したキャラクターと展開が功を奏したのか、集英社での仕事で初めて重版がかかった作品となった(実は『チキチキ』をやるまで重版というものを経験したことがなかったのである)。
その後、このシリーズを全4巻でたたんだあと、ぼくはふたたびSF文庫に戻り、個人的にとても気に入っている、『ハルマゲドン』シリーズを書くことになる。

他方、スニーカーでは『チキチキ』をやりつつ『レオン東遊記』という全3巻のシリーズをやった。これは取り立てて売れたシリーズというわけではないのだが、ぼく個人としては、バシレイデスという性格の悪い魔法使いを主人公サイドに登場させたのがエポックメイキングであった。毒舌で容赦のないこのキャラがいなかったら、おそらくアルハイムは登場しなかっただろうし、伊織もディミタールもいなかったと思う。

そしてファミ通文庫では、ゲームノベライズという形式ならではの地獄が待っていた。すなわち、ゲームのリリース時期に合わせて発売しなければならないため、夏から秋にかけて4か月連続刊行という尋常ならざるスケジュールを余儀なくされたのである(もちろんその間に、スニーカーやコバルトでも本は出している)。

たぶん、単純な分量でいえば、この頃(97年)が一番仕事をしていた。
二度とやりたくはない。

妄想 2014/04/15
黒歴史:心に棚を作れ!

そんなこんなで、ぼくの主戦場はスニーカー&ファミ通になった。当時のファミ通はファミ通ゲーム文庫というレーベルで、ぼくも格闘ゲームのノベライズしかやる気がなかったため、スニーカーではオリジナル、ファミ通ではノベライズという住み分けでやっていくこととなった。
というか、そのつもりでいたわけだが、スニーカーでの『チキチキ』がそれなりに好評を得てスタートしてしばらくした頃、SF文庫の担当さんから久しぶりに電話がかかってきた。前にも書いたが、この担当さんとは、夜の神保町でいいたいことを思う存分いってお別れして、これで縁切りになってもいいと思っていたし、そうなるだろうというようなことをいわれてもいた。それだけに、いったいいまさら何の用があるのだろうかと疑問だったのだが、久闊を叙するあいさつもそこそこに、担当さんは切り出した。

「次の新作、どうしますか?」

な、何だってーっ!?
これまでのようには仕事を頼むことはできないとかいってたのに、半年ぶりにかかってきた電話の第一声がこれか! いったいどういうことなのか?

「新作は少し気分を変えてコバルトで出してみましょうか」

担当さんは半年前のぼくの決別宣言にはまったく触れない。完全になかったことにされている。ひょっとするとアレか、『チキチキ』が売れているからか? まったく誇れることではないが、『チキチキ』はそれまでぼくがSF文庫で出したどの本よりも売れている。それでまた声がかかったのかもしれない。
そう考えたぼくは、あちらがすべてをなかったことにして接してくる以上、ぼくもすべてをなかったことにして対応しようと決めた。
なぜなら、当時のぼくにとっては、仕事の取引先(=書かせてもらえるレーベル)は1社でも多いほうがいいからである。

「そうですね、コバルト文庫なら、ちょっと女の子向けを意識した作品にしますか」

などと調子のいいことをいいながら、ぼくはこれまできちんと書いたことがなかった、オーソドックスなファンタジーものをやってみようと考えていた。

妄想 2014/04/08
黒歴史:5分だけのわがまま

これまで語ってきたような経緯で、ぼくはSF文庫からスニーカー文庫へと戦場をシフトした。
が、それと前後して、もうひとつ仕事をすることになった。
96年当時、初台のオペラシティの近くにあったアスペクトから、うちで書かないかと接触があったのである。今でこそコンピューターなどとはあまり関係のない一般書籍を作っている出版社であるが、当時のアスペクトというのはアスキーの書籍販売部門で、より判りやすくいうなら、現在のファミ通文庫の前身ともいうべき、ファミ通ゲーム文庫、ログアウト冒険文庫などを作っていた。まあ、実質的にはアスキーである。
新声社からお声がかからなくなったと思ったらアスキーから連絡が来たというのは、何やらできすぎのような気もするが、何のことはない、ゲーメストZ文庫を作っていた編集さんの転職先がアスキーだっただけなのである。
で、くだんの編集さんがファミ通ゲーム文庫の編集部に配属されたため、Z文庫は事実上廃刊だろうし、どうせならこっちで書かないかと声をかけてくれたのだが、つまりはこれが、今も続く長い長〜いファミ通文庫とのつき合いの始まりであった。

ちなみに、ぼくがアスキーで最初にやった仕事はゲームのノベライズではなく(まだファミ通ゲーム文庫は立ち上げ準備中だった)、当時コンシューマー用に移植された『ストリートファイターZERO2』のコマンドブックとかいう簡易攻略本のようなものだった。これは各キャラの紹介とミニストーリー+必殺技コマンドの解説を掲載したもので、ソフトといっしょに並べられるように、CDケースサイズという変則的な作りになっていた。
ぼくはこの本のミニストーリーを担当した。なぜこんな仕事が回ってきたかというと、ぼくが『ストZERO2』の基板を所持しており、ちょっとした文章を書けるからという、ただそれだけの理由である。本当なら、これはファミ通本誌の攻略本班が作るべきものだろう。

ただ、この時点でぼくは、担当さんにはっきりといっておいた。
ファミ通ゲーム文庫ではSNK作品のノベライズをさせてくれ。それが駄目ならアスキーでの仕事はしない。
新宿のゲーセンでもらった『KOF'96』のチラシを手に、ぼくは生まれて初めて、編集部に対してわがままをいった。

妄想 2014/04/02
黒歴史:また会う日まで

正直、デビュー作以降のSF文庫での6作品より、これからスニーカーで書く『チキチキ』のほうが、はるかに売れるだろうという気はしていた。担当さんの熱意がそもそも違う。
そういうことをつらつらと述べて、スニーカーの仕事をやめるつもりはないとあらためて断言した。

「……そういうことであれば、これまでのように仕事をお願いすることはできなくなるかもしれませんよ?」

というのが、担当さんの最後の言葉だった。そしてそのあと実際に、SF文庫からの連絡は途絶える。ぼくも自分から連絡はしなかった。

この時のトラブルに先駆けて、スニーカーのU氏からは初対面の時点で、ぼくがスニーカーでがんばってくれるなら、最大限のフォローはしていくつもりだが、だからといって、ぼくの人生を丸がかえはできない、ということもいわれていた。このまま集英社とやっていくにしろ、スニーカーとやっていくにしろ、本人の自己責任だと。
これは、無責任なわけではなく、当たり前のことだと思う。今も各社の新人賞受賞作家には、おそらく担当編集から、かるがるしく今の仕事を辞めてはいけないとか、できることなら就職しろとか、まずそういう助言があることと思う。それは、作家が売れずに困窮したとしても、最終的に編集部がその面倒を見ることはできないし、見るすじあいでもないからである。
だから、ぼくが集英社と手を切ってスニーカーと仕事をするようになったのも、自己判断、自己責任ということになる。もし万が一『チキチキ』がSF文庫時代の本より売れなかったとしても、ここまでしてもらった以上、それはもう、完全にぼくの責任だと思っていた。

……まあ、今ならもうちょっとうまく立ち回って、集英社とケンカなんかしなかっただろうが。

妄想 2014/03/27
黒歴史:タチムカウ!

これまでの打ち合わせではついぞ入ったことがないドイツビールを飲ませるお店で、ぼくは担当さんと話し合った。想定していた通り、向こうはスニーカーでの仕事を止めるようにいってきた。

「いや、いまさら止められませんよ。原稿は完成して渡してあるし、イラストもできつつあるし……」
「発売日が2か月後だといっても、著者であるあなたがひと言いえば、出版は止められますよ」

そりゃまあそういう理屈ではあるが、たぶんそんなことをしたらスニーカー側に大きな損害をあたえることになる。で、別にその穴を集英社が埋めてくれるわけでもあるまい。
秘密裡にことを進めてきたということは、いわば集英社に対して騙し討ちを仕掛けたようなものであるから、ぼくのほうにも後ろめたさはある。だが、かといっていまさら『チキチキ』の発行を差し止めるつもりもない。最悪、これを最後に集英社から干されるかもしれないことも覚悟の上で、ぼくはいいたいことをすべてぶちまけた。
スニーカーではイラストレーター選定の段階から著者の意見を聞いてくれるが、SFではそれができない。
スニーカーではキャラクターデザインやイラスト位置にも口を出せるが、SFではそれができない。
スニーカーではイラスト点数が多く、カラー口絵もあるが、SFでは口絵すらなかった。
スニーカーでは雑誌媒体でのフォローがあるが、SFではデビュー時でさえ何のフォローもなかった。

「今だからいいますが、デビュー時のぼくは孤立無援で、『大賞受賞作!』と書かれた帯以外、新人作家のぼくをアピールしてくれるものは何もなかった。こんなことならコバルト大賞に送るべきだと思いましたよ。あっちなら定期的に雑誌の仕事を回してもらえたかもしれないし。でも、さして売れているわけでもない外様のぼくを、スニーカーはこれだけプッシュして売ろうとしてくれています。それを断る理由はないです」

いってやったぜ! 震えながらだけどな!

妄想 2014/03/17
黒歴史:落日の書店街

というわけで、滅多にこちらからかけることのないSF文庫編集部に、震える手で電話をかけるぼく。

「もしもし……」
『はい、何でしょう?』
「実は……これこれこういうわけで、ぼくは今、スニーカーと仕事をしています」
『……本当ですか?』
「『ザ・スニ』ご覧になってませんか? ぼくの名前が予告に載ってるんですが……」
『……今初めて知りました』


知らなかったのかよ!
というかこの担当さんは、おそらくラノベの編集業務が意に染まない仕事だったのだとは思うが、ラノベに対しても、それを書く作家(すなわちぼく)に対しても、あまり関心がない人だった。もしバリバリにやる気のある担当さんであれば、当然ライバルレーベルである角川の『ザ・スニ』にも目を通していただろうし、それ以前に、95年の夏の段階で、ぼくがZ文庫で書いていることにも気づいていただろう。まがりなりにも新レーベルの創刊ラインナップだったんだから。
ことほど左様にぼくに対して関心の薄い担当さんでも、さすがに自分のところの受賞作家が、スニーカー文庫というメジャーレーベルで無断で仕事をするのはまずいと思ったらしい。
結局、ぼくはその日の夜(長い電話でのやり取りが終わったあと)、神保町に呼び出された。

夜の古書店街はひどくさびしい。あのあたりの古書店は、当然のことながら深夜営業をしないわけで、夜も9時をすぎると軒並みシャッターを閉めてしまい、あの界隈全体が一気に暗くなるのである。
そんな古書店街に呼び出されたぼくは、SF文庫の担当さんと1対1で対面した。本当ならU氏を交えてなるべくギスギスしないように話を進める場をセッティングするはずだったが、急に呼び出されたのだから仕方がない。一応U氏には、「これから行ってきます」と一報して、ぼくは集英社のお膝元へ乗り込んだのだった。

こうなったらすべてぶちまけるしかない。

妄想 2014/03/08
黒歴史:さて、どうしよう?

そんなこんなで、集英社からヘンなタイミングで釘を刺された。Z文庫の1冊目の段階で釘を刺されていたら、おそらくスニーカーとは仕事をしていなかっただろうが、このタイミングではもはやスニーカーの仕事は止められない。というより、止めるつもりはなかった。
まがりなりにも大賞デビューをしたはずなのに、SF文庫でのあつかいは、ぼくの本が売れなかったのは承知の上で、それでもなお納得がいかないところが多すぎた。
要するにぼくは、SF文庫でのあつかいに不満が溜まっていたのである。

そして冒頭の次号予告ページの話に戻る。
つまりはこの時点で、ぼくはまだスニーカーで仕事をするということを集英社に秘密にしていた。時期を見て(ありていにいえば事後承諾の形で)、集英社に話を通す予定だったからである。
ところが何かの手違いで、『ザ・スニ』の予告にぼくの名前が載ってしまった。これが書店に並んで集英社の担当さんの目に留まれば、ぼくがこっそりスニーカーと仕事を進めていたことがバレてしまう(だから本当は、予告にもぼくの名前は出ないはずだった)。
当然だが、いまさら『ザ・スニ』は回収できない。

どうやっても集英社にスニーカーの仕事がバレるとなったぼくは、覚悟を決めてこの段階でみずから打ち明けることにした。ひょっとしたら向こうも気づいているかもしれないが(世の中には早売りってものもあるしな)、『ザ・スニ』最新号が出るのを待って、こちらから編集部に電話を入れたのである。

次回、その戦慄すべきやり取りが明らかに!

妄想 2014/03/01
黒歴史:息を吐くように嘘をついた

確か初めてせた先生を交えて飯田橋でごはんを食べていた時に、「これ、今度出る『ザ・スニーカー』です」といって、96年4月末発売のザ・スニを編集さんから渡された。その、次号予告のページに、ぼくの名前が載っていたからである。
それを聞いて、ぼくと編集長のU氏は顔色を変えた。
実はこの年のアタマ、Z文庫での2冊目が出た直後あたりに、ぼくは集英社の担当さんから釘を刺されていた。要するに、「こちらに無断でよそのレーベルで書かないでほしい」というようなことをいわれたのである。レーベルが乱立する今では常識かもしれないが、どこかのレーベルで賞をもらってデビューした作家が、編集部に無断でよそのレーベルで仕事をするのは軽いタブーである。逆に、デビューしたばかりの新人作家に、デビュー元のレーベルに無断で声をかけるのもルール違反である(だいたいモメることになる)。

で、SF文庫の担当さんは、書店に並んだぼくのZ文庫の新刊を見て、初めてぼくが無断でよそで書いていることを知ったらしい。結果、「これに関しては、すでに出てしまっているし、モノもオリジナルではなくゲームノノベライズだからいいが、もしよその編集部から執筆依頼があっても絶対に引き受けないように」とのお達しを受けた。
だが、すでにこの時、ぼくはスニーカー文庫のU氏と打ち合わせをすませ、夏までにはスニーカー文庫で本を出そうということになっていた。
そしてぼくは、この時、それを集英社の担当さんには打ち明けられず、「はぁ、判りました」と承知したふりをしていたのである。

いい訳めいたことをいわせてもらえるなら、ぼくはデビューしてから一度としてSF文庫の編集部から作家としてのルールのようなものを教わったことがなかった。そもそも校正のやり方すら教わっておらず、校正紙を見て自力で覚えた。校正記号の使い方が間違っていると指摘されたこともあったが、教えてもらっていないんだからどうしようもない。新人にそういうことを教えるという意識自体が、最初から持っていないような担当さんだったのだ。
そんなわけだから、ぼくは業界の仁義的なこともいっさい知らなかった。当時のSF文庫の刊行ペースでは、ぼくが東京で部屋を借りてふつうに暮らしていくのは無理だったので、それぞれの締切さえ守れるのなら、並行して数社の仕事を引き受けたところで問題ないと考えていた(執筆速度にはすでに自信があったし)。
もしこれが、レーベル専属として拘束料金のようなものをもらえていたのなら別だが、少なくともぼくはそんな大物ではなかったし、「大賞作家デビュー!」とお金をかけてデビューさせてもらったわけでもない。だから余計に、ぼくがよそで書いたところで特に問題はないと思ったのである。

少なくとも、Z文庫で仕事をするまでは。

妄想 2014/02/20
黒歴史:こんにちは、スニーカー!

前回触れたように、96年のアタマには、Z文庫での2冊目の本が刊行されていた。実はこれらは、ぼくにとっては古巣であるSF文庫以外での初めての本である。
SF文庫では、デビューした94年の夏から95年末までの1年半の間に、5冊の本を出してもらっていたが、正直、どれもこれも売れ行きはかんばしくなく、その一方で刊行ペースは上げられなかったため、Z文庫での刊行は本当にありがたかった。
たとえ2冊でおつき合いが終わってしまったとしても!

実はこの頃(確か寒い時期だったので、95年の11月頃ではなかったかと思う)、角川スニーカー文庫からぼくのところへ接触があった。当時はまだブログもサイトも開設していなかったし、そもそも名刺も配っていなかったのに、なぜいきなりスニーカーから? と不思議に思ったのだが、のちにいろいろなかたから聞いた話を総合すると、当時のスニーカー文庫の編集長が、「最近誰か注目している作家はいませんか?」と秋津透先生に尋ねたところ、中国モノがお好きな秋津先生がぼくの名前を出してくださったらしい。
そこで編集長がぼくに連絡を取ろうとしたのだが、当時のSF文庫(=コバルト文庫)は、会社をまたいだ編集者同士の横のつながりがなく、ぼくの連絡先を知る方法がなかった。
ところが、当時のスニーカー編集部に、ゲーム系の編集プロダクション出身の人がいて、たまたまその人が少し前までゲーメスト編集部に出入りしていたことから、Z文庫の担当さんを介してぼくのところに連絡が来たのである。
そしてぼくはスニーカー文庫の編集長U氏と対面し、最初の打ち合わせ(という名の飲み)の中で、得意の中国モノだがSF文庫でやっていたものとはまるで違う、コメディ色の強い作品を書くことになった。
これが半年後、『チキチキ美少女神仙伝!』になるのである。

それにしても、95年の年末に初めて接触してから『チキチキ』の第1巻の原稿を納入するまでに半年もかかかっていないというのは、今考えてもすごいスケジュールである。確か96年のGWには原稿が完成していて、イラストレーターのせたさんとごはん食べてたりしていたからな。

がしかし、このGWに、地獄が待ち受けていたのである。

妄想 2014/02/12
黒歴史:さらば新声社!

前回の黒歴史でも触れたが、ぼくはデビュー翌年の1995年には、すでに新声社で仕事をしていた。
今だからあっけらかんといってしまうが、当時としては、これは非常によろしくないことだった。なぜならぼくは、1994年の夏に集英社のスーパーファンタジー文庫(以下、SF文庫と略す)でデビューしており、暗黙の了解のうちに、集英社の専属作家的なポジションにあったからである。
当時のぼくは、デビュー直後とはいえ、この業界のルールのようなものがまったく判っていなかった。真っ先におぼえたのは校正記号の書き方で、あとはもう、腕が折れるまで原稿を書き続けるという生活をしていた。とにかく作家は原稿を書いてこそという意識があったので、編集さんの迷惑も考えず、プロットをすっ飛ばして完成原稿を3本分くらい送りつけるようなこともしていた(おかげでぼくは、スニーカーで仕事を始めたあとも、執筆前にプロットを書くということができず、完成した原稿に合わせてプロットを書いていた)。

とまあ、こちらはとにかく原稿を書いて1冊でも多くの本を出したかったわけだが、今は亡きSF文庫というのはコバルト文庫のイトコみたいなもので、毎月の発刊点数が2、3点しかなく、新人のぼくには4か月に1度しか刊行のチャンスが回ってこなかった(デビュー作も売れなかったしね!)。
そんな時、ぼくのところに新声社から連絡が来て、それで前回の流れにつながるわけだが、そもそも新声社がぼくの連絡先を知っていたのは、これに先立つ数か月前、『コミックゲーメスト』誌上でおこなわれたこういう企画に応募していたからである。
そんなわけで、ぼくは新声社の仕事を引き受け、95年から96年にかけて、ゲーメストZ文庫で『ヴァンパイアハンター』のノベライズを2冊書き、結果的にはこれでおつき合いはここまでとなった。Z文庫の刊行ペースの遅さ、売り上げのお粗末さのせいもあるが、おそらくもっとも致命傷となったのは、ほとんどひとりでZ文庫を作っていた編集さんが、他社に転職してしまったことだと思う。

ただ、この時の新声社での仕事が、ぼくの運命を大きく左右することになる。大袈裟でも何でもなく。

妄想 2014/02/01
黒歴史:格ゲーバブル!

一応ラノベ作家という肩書で20年間やってきたぼくだが(デビュー当時はラノベという言葉はまだなかったが)、さすがにこれだけ長いことやっていると、小説を書く、という本業以外の仕事もそれなりに経験している。
おそらくぼくが小説の原稿を書くこと以外で初めて引き受けた仕事は、ゲーム雑誌の記事を書く仕事である。

デビュー直後のぼくは、今は亡き新声社の「ゲーメスト」の編集部から、ちょこちょこと小さな仕事をもらっていた。もちろんその延長線上には、これまた今は亡きゲーメストZ文庫で執筆するという、本来のフィールドでの仕事があったわけだが、格ゲーバブルのど真ん中だった当時のメスト編集部は、格ゲーファンをターゲットにした新雑誌を立て続けに創刊していたため、とにかく誌面を埋めるための原稿が必要だったのだろう。
もともとはZ文庫立ち上げについての説明を聞くために編集部に出入りしている間に、ぼくにその新雑誌の創刊号で必要になる原稿を書いてくれという話が来て、ゲームの短編を2本書いた。以前にもブログで触れたことがあったと思うが、「ゲーメストワールド」創刊号に、一般読者のフリをして『餓狼伝説3』のサイドストーリーを1本“投稿”し、さらに同じく創刊号に、嬉野秋彦の名義で、『ストライダー飛竜』のサイドストーリーを書いた。ゲーム絡みのお仕事でお金をもらったのは確かこれが最初である。
実をいえば、ここで編集部に恩を売っておいて、Z文庫立ち上げ時に『餓狼伝説3』のノベライズをやらせてもらいたいという野望がぼくにはあった。なので、そのあとに回ってきた、『餓狼伝説3の謎』という、いわゆる謎本の仕事も率先して引き受けた(結果的に、SNKから許諾が下りずに『ハンター』をやることになったのだが)。
さらには、メスト編集部のライターさんたちと共同で、「アーケードゲーム大辞典」みたいなものを作るという企画があって、そちらでもかなりの量の原稿を書いた。確かあの当時のゲームメーカーやゲームタイトル、ゲームキャラ、筐体、スラングなどまで網羅した辞典を作ろうという、今にして思えばかなり無茶な企画だったが、案の定、だらだらと時間ばかりかかって完成しないままに会社が消滅した。
出版業界では、本が出なければギャラも発生しないのがふつうなので、この仕事については原稿を書いただけでギャラにはならなかった。

振り返ってみれば、新声社はほかの編集部とかなり違っていた。一番の違いは、文庫の印税が分割払いだったという点だろう。100万にも満たない印税を3回に分けて支払っていたというのは、景気がよさそうに見えて実は自転車操業だったのか、あるいは危ない橋を渡るまいという経営陣の堅実さの表れだったのかは判らないが……コミックのほうもそうだったのだろうか?

妄想 2014/01/12
黒歴史:振り向くな!

ぼくは今年でデビュー20年目なわけだが、さて、20年前の今頃は何をしていただろうかと振り返ってみて、不意に耐えがたい重苦しさを覚えた。
20年前――1994年1月のぼくは、大学4年目が終わろうとしているにもかかわらず、卒業の見込みがない状態だった。当時のぼくは、本屋でのバイトと読書、ゲーム、それに小説の執筆に明け暮れていて、ろくに大学にも通っていなかった。というより、もはや完全に大学生活が破綻していて、その現実から逃避するために娯楽にのめり込んでいたのである。

そんなこんなで、当時すでにぼくは留年が決定していた。しかも、3か月後にはそれまで住んでいたマンションを出ていかなければならない状況にあった94年1月のぼくは、絶望のどん底にいたといっていいだろう。何しろ当時同居していた弟くんが、「あの頃のきみは、気づくと真っ暗な部屋で布団に横たわり、じっと天井を見つめていてすごく怖かった」というくらいに、その頃のぼくは精神的に追い詰められていた。自覚はないのだが、どうもそういう精神状態だったようだ。

そんなこんなで、デビューが決まった時の安堵感といったらなかった。作家としてやっていける保証などまったくなかったにもかかわらず、当時のぼくは、これでもう好きなことだけやって生きていけると本気で思い込んでいたのである。
実際、そのあとまた暗澹たる気持ちにさせられる時期が来るわけだが。

妄想 2014/01/03
黒歴史:20年……。

今年は2014年、W杯もあるけど『KOF』20周年だぜ!とか浮かれていたのだが、よくよく考えてみると、『KOF』が20周年ならぼくの作家生活も20周年ということになる。デビュー直後に本厚木のゲームショップでネオジオ版の『94』買ったしな。

思えばよくもまあこれといったヒット作もないのに20年も続けてこられたものだと思う。今だから笑って振り返ることもできるようになったが、病み上がりに文庫1本ぶんの原稿を1週間くらいで書き上げるはめになったとか、某編集部とケンカしてしばらく仕事を干されたりとか、若い頃だからできるようなこともいろいろとあった。
まあ、そういう武勇伝的な面に関しては、ぼくなどよりもよほどすごい猛者がこの業界にはいくらでもいるので、あまりエラそうに語るのはやめておく。

ということで、今年はちょいちょい、昔を振り返るような記事を書いていこうと思う。こういうきっかけでもないと、あんまり語る機会ないしな。